「地獄のロキソニン(痛み止め)+氷枕生活」が続いています。大学病院で専門医の予約を取ることに手間取りながら、私は毎朝、第2の医師のもとに通っていました。
そんなある日、噂をきいた知人から連絡が入りました。
「銀座に名医がいる。紹介するから、ダメもとで行ってみたら?」
私は、久しぶりに光明を見た思いがしました。というのも、この知人、めったなことで、人に何かを薦めるような人物ではないからです。
指定された日時(痛み始めてから35日目!)に、銀座に歯科医を訪れました。
待合室で待っていると、
「歯根膜炎ってのは、あんた?」
クラシックな白帽に眼鏡、マスクをした年配の先生が、ぶっきらぼうに尋ねました。歯科医というより外科医の雰囲気です。
先生は、私を診察室に導くと、早々に診察を始めました。最近の歯医者さんは、「痛かったら言ってくださいね」と何度も訊いてくれて、逆に、そのせいで恐怖心が増したりするのですが、銀座の名医は、そんなことは一切言いません。私の顎を自分の胸元にグッと引き寄せると、打診を始めました。
「イタッー!」
私は、その度に診察台の上でエビぞりを繰り返します。
「痛がり? 大げさなんじゃないの?」(銀座の名医)
「いえ、大げさでもないし、痛がりでもないハズです」(私)
「ふーん、ハズって言うくらいなら客観的だし、信じてもいいんだろうな」(銀座の名医)
そんなやり取りの後で、例の針のような器具で、ガリガリと歯の根っこをチェックしたり、レントゲンを撮影したり。そうして、かれこれ30分くらい経ったでしょうか。
「うーん、ずい分、こじれちゃったねぇ」
銀座の名医は、そう唸ると、
「しかし、どうしてこんなに痛いかねぇ」
と、首をひねり始めました。
根の治療も悪くない、レントゲンでも異常はない。要するに、原因が発見できないと言うのです。
「あぁ、名医でもダメなのか……」
胸中に絶望感が漂いました。
けれども、この先生が凄かったのは「あきらめない」ところです。「痛いんだから原因はある」という執念ともいえる確信のもと、黙々と診察を続けてくれました。そして、遂に、「あー、なるほど。あった、あったねぇ」と、低い声でつぶやいたのです。とうとう原因がわかったのか? 私は大口を開けたまま、先生の顔を覗き込みました。
「あのね、この歯に、細いけど、歯の底まで届く深いヒビが入っているんですよ」
先生が解説を始めました。
「そこから細菌が入っているわけ。だから、神経を抜いても意味がなかったっていうか、ま、そういう治療の過程で、そもそも菌で炎症を起こしていた歯根膜が、さらに刺激されちゃったんだろうね。ところでこの歯だけど、ヒビが深いから残せないな。抜歯するしかないね」
極めて理路整然とした説明です。
一方、話を聞きながら、私は完全に脱力していました。まるで元気のないカエルのように、身体がベローンと診察台に吸い込まれました。
「ヒビ? 抜歯?? だったら、最初から抜いていれば良かったってわけ??? だ、だ、だとしたら、私の悶絶の35日間はなんだったんだぁ!!!」
激痛の原因は、歯そのものが語っていたのです。よく刑事ドラマで、「迷った時は現場に足を運べ」と言うじゃないですか。同じことが、私の歯にも言えたのです。だのに、だのにー!です。本当に、この35日間はなんだったのでしょうか?! ふぅー、脱力にため息がまじります。
しかし、ため息をついている場合ではありません。次なる関門は抜歯です。
「普通はね、炎症を起こしている時、抜歯は避けます。しかし、このケースではそんなことも言ってられないから抜きますよ。歯根膜炎がこじれて、骨髄炎に近いところまでいってしまっているからね。だから、今晩は少し痛むかもしれないけど、仕方ないな」
こうして、私の歯は抜かれました。
抜歯なんて、10年以上振りのことでしたから全身が震えましたが、そこはさすがに名医、ほんの3分ほどのあざやかな早技でスポンと抜いてくれました。私が、「先生は歯をどう抜くか、触りながら考えているんだな」と思っていた間に、名医はさっさと仕事を終えていたのです。
帰りがけ、「今、飲んでしまってください」と、看護婦さんからロキソニンを渡されました。「今は麻酔が効いているけれど、いつ痛み始めても不思議じゃない」というサインです。
帰宅した私は、ロキソニンに氷枕、そして、お笑い好きの甥の部屋からゲットしたDVD『ドリフの大爆笑』を抱えて、粛々と寝室に向かいました。テレビ画面に、ノー天気なお笑いを流しておくことで、少しでも痛みから気を散らしたいと思ったのです。結果として、これは正解でした。加藤茶の「明るい看護婦」、志村けんの「働くおばあさん」「瀕死の芸者」の3コントは、とくに気持ちを歯に集中させないことに貢献してくれました。ありがとう、ドリフ! そして、ありがとう、銀座の名医! 痛み始めて35日目の宵、ろくに口もきけない状態の私は、そう心の中でつぶやいて床についたのでした。
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【歯根膜炎に関する参考サイト】
→歯チャンネル88「歯根膜炎と思われる症状だったのに抜髄、しかもまだ疼きます」
→歯根膜炎《河田歯科医院》(歯根膜炎について図解しています。ただし、私が通院した歯科医ではありません。)
【その他の参考サイト】
→おくすり110番「ロキソニン・腫れや痛みをやわらげ、熱を下げるお薬です」
→たかはし歯科医院(骨髄炎について詳しく書かれています。ただし、私が通院した歯科医ではありません。)